榊一郎『アウトブレイク・カンパニー』(講談社ラノベ文庫)

高校中退状態の慎一が、セッパつまったあげくの就活で得たのは、ファンタ ジー世界で、おたく文化を伝導するという仕事!?

ほとんど騙された形で連れ て行かれた場所は、ドラゴンが宙を飛ぶ、まさに異世界だった! が、このあ まりにも異常な状況と展開でも、生粋のおたく育ち・慎一は苦も無く適応!!  マジで、ハーフエルフの美少女メイドさん美幼女皇帝陛下とラノベ朗読で親 交を深める萌え展開に。だが、世の中はやはり甘くない。慎一の活動に反感を 持つ過激な勢力がテロを仕掛けてくる。さらに、その慎一の活動そのものにも 何やらキナ臭い裏が!? 『萌え』で、世の中を変革できるのか? それとも 『萌え』が、世界を破滅に導く!?

異世界召喚もの〉というと、かの〈文豪〉マーク・トウェインアーサー王宮廷のヤンキー』や実写映画化された『火星のプリンセス』まで19世紀来の伝統的テーマである*1
テーマ的にライトノベルないし少年少女ものと親和性が高いのかそれこそ有名どころでは『十二国記』から『ゼロの使い魔』、今では知る人ぞ知る『A君(17)の戦争』、はたまた最近の『ゲート』に至るまで結構ジャンルは連綿と続いているイメージがある。

そうした作品に共通するのは前述したように現代社会になじめなかったり能力を認められなかった主人公が異世界で活躍というパターンが多く*2どちらかというと「個」としての成長や願望成就に作品のおもしろさがあると考えている。
ただアイデアとしては上記作品を出すまでもなく正直食傷気味で、このサブジャンルで自分がこの先おもしろいと感じる作品に出会うことは無いだろうと思っていた。

で、そんないち読者の予想は見事大ハズレというか嬉しい誤算というか

Twitterで「おもしろいよ」と薦められ半信半疑でポチっと。読んでから(2)以降も買っておけばといま激しく後悔している。

このジャンルの作品だと主人公の成長と重ねて異世界に適応=居場所を見出すことというプロットが多いが、本作はどちらかというと現代日本サブカルチャーオタク文化異世界に持ち込むという至上命題のもと、そうした文化の前提となっている現代日本(というか近代以降の世界)と異世界の違いを際立たせるというかなり難しい描き方をしている。
「自分が適応する」ばかりではなく「受け入れてもらう」という点では、まさに(現代作品モノを含めて)最近のラノベの潮流のど真ん中に位置する作品だとも思う。
本作の背景的な設定や歴史的薀蓄はおそらく膨大にあると思うがそうした部分をサラっと描いて作品のテンポを殺さないのも素晴らしい。文庫紹介文ではおそらくこの作品の「隠れた緻密さ」みたいなものは表現できないと思う。少しでも興味を持った人は最初の70ページほど読んで欲しい。

直接の内容、感想的なものは読書メーターに書く。

著者は以前から複数レーベルで書いているベテラン作家なのだが、なぜかこれまで手に取る機会が無くこの作品がはじめて*3。つくづく作品との出会いというのは重要だと思う。

アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者1 (講談社ラノベ文庫)

アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者1 (講談社ラノベ文庫)

*1:よく考えるとどちらもタイムスリップものか

*2:『ゲート』はちょっと違う

*3:あまり富士見系の作品を読んでこなかったのが理由と思う

岩原裕二『Dimension W』(ディメンション ダブリュー)

ディメンションW(1) (ヤングガンガンコミックス)

ディメンションW(1) (ヤングガンガンコミックス)

アニメ『DARKER THAN BLACK』のキャラクター原案、コミカライズなどで知られる岩原裕二の新作コミック。我ながら1巻の段階で買うというのは珍しいと思う。*1
さて、一度読んだが「ん、ん?」となってしまう、超小型で無限の動力源となる“コイル”というガジェットが登場する世界にしてはそのインパクトが薄すぎるように感じる。とくに世界の経済や安全保障に対する影響はどうなっているのかと気になりつつ読み進めるのは、多少エキゾチックな点はあるにせよ作中で描かれる2072年は既存の近未来SF映画やコミックでもよく見る世界である。
実際のところ、念頭にあったのは昨年の翻訳SFで話題を独占したパオロ・バチガルピ『ねじまき少女』(早川書房)である。同作ではエネルギーが枯渇しカロリーが「希少」になりすぎて我々が暮らす現在のそれとは一変してしまった世界の姿を描いているが、ポータブルなエネルギー源とかのアイデアはよく似ている。

さらにストーリーは例によって映画「レオン」的なアレである*2。少女(メカだけど)と何やらプロフェッショナルな中年男である、「あんたそれはもう他でやったろ」と言いたくなるが、二度目に読んで印象が少し変わる。
一般にSFがアイデアや世界観の奇抜さで勝負と言っても、コミックは「絵」がものをいう世界であり、「世界の有り様」をいくら語りつくしても読者が入ってこれなければ意味はない、何よりまだ第1巻である。わかりやすい「妹」属性や怪盗といったケレン味で読者を引き込む業をしばらく楽しむとしよう。なお陰影の強い動きのある絵はかなり好み。

*1:銀の匙』なんかも読みたいがまだ寝かしている

*2:性別を入れ替えて映画「グロリア」でもよいし、わが国を代表する劇画「子連れ狼」でも良い

補足

じゃあたとえば欧米人は作品について「(師弟関係とかの)人脈」とか「クリエイター個人の卓越性」は重視しないの?と言われそうだけど、当然非常に重視している。
実は人間関係に淡泊な日本人より依怙贔屓の度合いはむしろ大きいと感じる。ただそれを面と向かって指摘されるのは都合が悪いためオモテでいろいろ理論武装しているのである。
愛があっても実際は言葉を尽くさなければ伝わらないわけである。

作品の素晴らしさを伝えるために不要な言説

狭い国内にギュっと人がいて何かを選択するのに均質過ぎて判断基準が難しいせいかどうかは知らないが、本来「内容勝負」のクリエイティブな世界でも「誰が作った」というのが基準になりがちである。

わかりやすくアニメを例にあげると

  • 「やっぱり○○が制作するとこうなる」(いい意味でも悪い意味でも)
  • 「やっぱりあの△△を監督した●●の作品だから良い」(概ね良い意味で)

ネットでもよく目にする言説であるが、こういう外形的な話は不思議なくらい海外のユーザには通じない、少なくとも自分の経験では。要はあまり「国際的」ではないということらしい。

もしあなたがわが国の素晴らしい作品(アニメでも、漫画でも、音楽でも、伝統芸能でも)を海外の誰かに紹介しようと思ったら、「あの●●を作った○○のだから」とかいう修飾をいくら尽くしてもそれはほとんど徒労に終わることは確実である。多少拙くても「俺はこの作品が○○だから良かった」と伝える方が遥かにマシである。

思うところあって1年ほど続けたTwitter連携を今年はじめにやめて*1数ヶ月…、案の定見事に過疎ったのでTweetに紙幅や流れるメディアの特性上書きにくいエントリをゆるく気軽に書いていこうと誓う*2

*1:Twilogもあるので二重更新で無駄というのもある

*2:なるべく下調べのいらない範囲でw

2012年01月20日のツイート

2012年01月19日のツイート