エドモンド・ハミルトン『フェッセンデンの宇宙』(短編集)

松尾たい子のカバー絵が素敵な河出《奇想コレクション》の一作。表題作ではなく『向こうはどんなところだい?』に虚をつかれた。これだけでも一読する価値がある。

  • フェッセンデンの宇宙

 科学者アーノルド=フェッセンデンが大学の同僚である主人公に見せた装置はまるごとひとつの「宇宙」だった。1937年に発表された作品だがアイデアの独創性といかにもなもっともらしさに驚く。あらすじは既に知っていたにも関わらず単純なプロットが却って想像力を刺激する。作中の「宇宙」の描写ではフォワード『竜の卵』やイーガン『順列都市』を連想した。語り口がゴシックホラー調というかやや陳腐であるのが惜しいがこれも時代か。一度聞くと忘れられない題名も魅力、原題はFessenden's Worlds だが邦題の方が印象的だと思う。

  • 風の子供

 主人公が異郷で出会う不思議な少女というモチーフがなんとなくラノベを思わせる。というわけではないが今となっては単純過ぎるアイデアも含めあまり楽しめなかった。もともと本作は「異郷探検+神秘的な女性=願望充足」とエイブラム・メリット作品へのオマージュになっているとのことで、メリットの作品がいまひとつピンとこない*1と楽しめないかも。

  • 向こうはどんなところだい?

 『キャプテン・フューチャー』シリーズの作者が書いたとは思えないほどドライに、火星への遠征とその顛末を描く作品。
 超テクノロジー無しの宇宙旅行をリアルに描いた作品は後代にもある*2し、この短編で用いられるテクノロジーは既に陳腐化しているものもある。それでもこの(有人宇宙飛行が行われる前の1952年に発表された)古い作品に魅力を感じるのは、主人公が旅をする1950年代アメリカの田舎町の描写と、回想で描かれる過酷な火星遠征の対比が感傷的な効果をもたらしていることからかもしれない。ブラッドベリ火星年代記』のように別に狙ったわけでは無く歳月の流れという効果もあるのだろう。
 幸いにも現実の宇宙開発では宇宙飛行士を消耗品のように扱うようなことが無かった。火星の描写はおそらく第二次世界大戦の記憶がもとになっているのだろう。

 しかし、自分にとってなにかが終わった気がした。若いということが終わった気がした。年寄りにはなった気がしなかった。しかし、若い気もしなかった。この先若い気がするとも思えなかった。二度と若い気はしないだろう。(中村融 訳)

 主人公が夜空を見上げ真実を伝えなかったことを告白する結びの一節で感傷的な雰囲気は最高潮を迎える。

*1:以前、荒俣宏の訳で『イシュタルの船』を読んだことがある。なんともいえない微妙な読後感だった

*2:テリー・ビッスン『赤い星への航海』がお奨め