小野不由美『丕緒の鳥 十二国記』(新潮社「yom yom」3月号掲載)

ひさびさの「十二国記」新作短編は嬉しいサプライズでした。

yom yom (ヨムヨム) 2008年 03月号 [雑誌]

yom yom (ヨムヨム) 2008年 03月号 [雑誌]

大型書店で「yom yom」が平積されていたのですが、その傍らになぜか『魔性の子』(新潮文庫)と講談社文庫版「十二国記」シリーズが平積されており、目をとめるとPOPに「6年半ぶりの十二国記 新作!」(うろ覚え)が。気づかなければそのまま通り過ぎるところでした、有隣堂さんGJ

雑誌掲載作品ということで配慮してこの続きは別に。

つくりものの鳥を射る〈射儀〉という儀式の企画に携わり歴代の王の悪政を見続けてきた一人の役人。かつては自ら担当する儀式を通して王により良き政治への思いを伝えようと努力したが、同志といえる上司と部下が粛清されるに及び、希望を失い無為な日々を過ごしてきた。
新王が即位することになり再び射儀を企画することになったが……。

作品舞台は慶国。長く続いた悪政で国土は荒れ果て『月の影 影の海』の主人公陽子が国王に即位する前後を描いています。

  • 感想

読者は主人公「丕緒」(ひしょ)にいろいろな姿を託することと思います。社会人であれば上司と部下に挟まれた中間管理職の姿、あるいはクリエイターやプランナーといった表現者の側面、青江(せいこう)をはじめを多くの工匠を率い困難な課題に挑むプロジェクトマネージャーの姿を彼に見るかもしれません。
かつて、理想半ばにして去った部下の思いに気づき、その遺志を懸命に成し遂げようと努力する姿は感動的であり、それは作品の終わりの「謁見」シーンでクライマックスを迎えます。硬質で淡々とした文章なのに「ようやく報われたか」の思いにジーンときます。

  • 射儀あるいは陶鵲(とうしゃく)について

重要なモチーフとなる「陶鵲(とうしゃく)」は陶器でできた鳥(「鵲」はカササギ)という意味です。作中の描写では必ずしも鳥の形ではなく矢で射る的(まと)のようなもののようです。
慶事にこの陶鵲を飛ばし矢で射て、つまり壊してしまうのです。本作の主人公「丕緒」(ひしょ)はこの壊れ方に「王権」へのメッセージを懸命にこめようとするのです。

十二国」世界がモデルにしていると思しき現実の東アジア文化圏で「射儀」という儀式が存在したかは調べられなかったのですが、カササギは中国では「喜鵲」と書くそうで、ここから鵲を射ることで「喜び」転じて「慶び」を表現する儀式としたのではないかという推察はできます。韓国では「カチ」と呼ばれ、めでたい鳥とされているようでソウルの市鳥に指定されています。一方、わが国では生息エリアが限られ国の天然記念物に指定されているそうです。主要生息地である佐賀県熊本県を除き、類縁のハシブトカラスなどと比べ慣れ親しんだ鳥ではなさそうです。

どちらかというと由来よりもその工芸技術に注目しました。
文芸作品では現存の芸術や工芸品と職人をめぐる作品は多いもの、壊すための工芸品というのは珍しいのではないかと思います。確実に矢を当てるために投擲後に空中にとどまる。複数の陶鵲が壊れる落ちる際に一定の楽曲を奏でる。香を発する。などなどこれだけで架空技術のオンパレード。ボルヘスやレムの作品が好きな人にはたまらないのではないかと思います。

  • 漢字の造語について

本作に限ったことではないのですが、「十二国記」では作品世界の雰囲気づくりのために漢字による造語が欠かせずそれが独特の魅力ともなっています。はじめて本作を手にとったとき、「少女向け小説でこれだけ漢字を使うのか!」と驚いた記憶があります。
地の文では漢字の造語が多くなりがちなので、会話文を少し多めにして読みにくさを調整しているなあ、という感覚はあったのですが、どちらかというと寡黙な男の視点が中心で、冒頭の舞台となる役所の情景描写などもおなじみのを含め造語漢字がこれでもか続きます。
院子(なかにわ)、府第(やくしょ)、堂(ひろま)、跫音(あしおと)、堂屋(むね)、方卓(つくえ)、……
物語を読み進めるのに差し支えるほどで無いのはルビの力でしょうか、作品世界の異化効果と読みやすさのギリギリのバランスをとっているのは凄いことだと思います。

  • シリーズ本編の再開は?

さて、いちファンとして野暮を承知で考えるのは今後のシリーズ展開のこと。
番外編的位置づけとはいえ短編が新潮社に掲載されたということはもしかすると新作は近々新潮社から出るのかな、とか妄想を逞しくします。
名作と評判も高いアニメも定期的にリピート放映されているようで、そこから原作小説に入る新しいファンも生まれていることと思いますし「そろそろ」と期待も高まります。